伝羽柴秀吉邸下段  パノラマ写真


標識の解説文

伝羽柴秀吉邸

ここは、織田信長の家臣であった羽柴秀吉が住んでいたと伝える屋敷の跡です。
大手道に面したこの屋敷は、上下2段に別れた郭(造成された平地)で構成されています。下段郭の人口となるこの場所には壮大な櫓門が建っていました。
1階を門、2階を渡櫓とする櫓門は、近世の城郭に多く見られるものですが、秀占邸の櫓門はその最古の例として貴重です。
門内の石段を上がると、馬6頭を飼うことのできる大きな厩が建っています。武士が控える遠侍と呼ばれる部屋が設けられている厩は武士の生活に欠かせない施設です。
下段郭には厩が1棟あるだけで、それ以外は広場となっています。背面の石垣裾に設けられた幅2m程の石段は、上段郭の裏手に通じています。
上段郭は、この屋敷の主人が生活する場所です。
.正面の入口は大手門に面して建てられた高麗門です。
その脇には重層の隅櫓が建ち、防備を固めています。門を入ると右手に台所があり、さらに進むと主屋の玄関に達します。
玄関を入ると式台や遠侍の間があり、その奥に主人が常住する主殿が建っていま。さらにその奥には内台所や遠侍があります。3棟の建物を接続したこの建物群の平面積は
366uあり、この屋敷では最大の規模を持っています。
戦国の世が終わりを迎えようとする16世紀末の武家住宅の.全容を明らかにした伝羽柴秀吉邸跡の遺構は、当時の武士の生活をうかがい知ることのできる、誠に貴重なものといえます。

櫓門跡の発掘調査

伝羽柴秀吉邸跡の発掘調査は平成2年と4年に実施しました。調査前は草木の生い茂った湿潤な斜面地でしたが大手道に面した調査区からは門の礎石と考えられる大きな石や溝、階段を発見しました。これらは厚さ数pの表土の下から見つかりましたが、その保存状態は大変良好で今後の安土城跡の調査に大きな期待を抱かせることとなりました。
礎石は鏡柱を置く巨大な礎石や添柱用の小さな礎石など、大小あわせて9個発見しており最大のものでは0.8m×l.4mの大きさがあります。
これらの礎石の配列と両側の石垣の様子から、この建物は脇戸付の櫓門ぐあることがわかりました。櫓門の内側には、屋敷に通じる石段とこれに伴う石組みの排水路があり、水路の縁石には石仏が使用されていました。門の前では大手道から魯門へ入るための橋を支えたと考えられる
3本の長い花崗岩製の転用石を発見しました。また、周辺からは櫓門の屋根を飾っていたと考えられる金箔軒平瓦や丸瓦の破片が出土しています。


伝羽柴秀吉邸跡 下段の標識


標識の図