白鳳6年(691)年に天智天皇の勅願により建設され、本尊には薬師師寺如来が祀られている。寺名は定恵和尚(藤原鎌足の長子)が桑の実を唐より持ち帰り、この地で日本で最初に養蚕を教えたのが由来とされている。

戦国時代の戦火にも全く関係なく、南北朝時代に建設された当時の姿のままであるのは正に貴重である。
1531年には
第12代将軍足利義晴が京の戦渦を逃れ、ここへ逃亡して佐々木六角氏の保護のもとにここに室町仮幕府を開設 した。この時に土佐形部光茂の描いた縁起絵巻2巻を寄贈し、この巻物は明治43年 桑実寺縁起絵巻として国宝に指定される


長い石段を上がる


門が見えてくる



門から更に石段を上がると室町仮幕府跡(以前は標識があったが今はない)


情緒ある石段が続く


整然とした心地よい綺麗な石段が続く


最後の長い石段


500段ほどで桑実寺にたどりつく


桑実寺から更に石段を上がると観音寺城本丸跡へ通じる


観音寺城本丸跡へ向かう石段から見た桑実寺

 

歴史的に思い出す事件

私はここへ来ると、どうしても信長の竹生島参詣の事件を思い浮かんでしまう。信長公記には天正9年4月10日に信長は
小姓衆5〜6人を従えて竹生島参詣した。長浜の羽柴秀吉の城まで馬に乗り、そこから竹生島まで湖上5里を船で行った。安土から往復約100キロであり、遠路であるので常識として長浜で1泊すると思われていたのにその日のうちに安土城に帰還した。その時、女房達のなかで、桑実寺に参詣に出かけたものがおり、信長は遊び怠けたとしてその女房を出頭させるように命じた。しかし、それをかばった寺の長老とその女房達を切り捨ててしまった とあるがフィクションとも云われている。